がけっぷち30代未婚無職の教員採用試験

30代未婚無職が2017年実施の教員採用試験に挑むブログ

異質なものとして排除されることのつらさ。

この「大阪大学で面接が全く通らない人」が書いたブログがあるのですが、すごく琴線に響きました。今の私も、彼とまったく同じ気持ちです。





  大阪大学4回生、就職活動60戦0勝。内定はまだない。
いや、「まだ」というのは正しくないのかもしれない。僕にはもう、内定なんて出ないだろう。だって、僕は障害者だから。自分の事を健常者だと勘違いして生きてきた、哀れな障害者だから。

  小学校の時、ひまわり学級という所から僕のクラスに時々やって来る田中君という男の子がいた。
田中君は、いつも笑っていて、話が通じなくて、時々暴れる、変わった男の子だった。
僕はそんな田中君のことが大嫌いだった。明らかに異質で、僕と違っていたから。

クラスの皆も田中君のことを嫌っているようだった。先生はいつも僕達に「田中君が遊びに来てくれたよ!」というのだけど、誰も田中君に話しかけないし、田中君に話しかけられても適当にあしらっていた.
僕らの田中君の対する扱いは、ほとんど、イジメに近いようなものだったように思う。

 当時の僕らは、知的障害に関する知識は皆無だった。差別が、という意味ではなく、そもそも知らなかった。
ひまわり学級という区分の持つ意味についても理解していなかった。
僕らはただ、田中君が自分たちと違うということだけを、直感的に理解していた。本能で、田中君を仲間外れにした。

 僕は田中君への仕打ちについて、罪悪感を感じることはなかった。無知だった頃はもちろん、障害についての知識を得てからも。異質な奴らを阻害するのは当然のことだと思っていた.
……就職活動で失敗するまでは。

 就職活動について、決して楽観視はしていなかった。就活を始めたのは3年の12月からだし、大阪大学という名の知れた大学に入ったのも、それなりに就職を意識してのことだ。キャリア支援課にも通った、ネット上でも情報を集めた。しかし、失敗した。

 初めは、経験が無いせいだろうと思った。僕は元々そんなに喋りが得意な方じゃないし、緊張と経験値のなさで、うまくいかないのだろうと。
でも、途中でそうじゃないことに気づいた。面接に慣れてからも、相変わらず結果は悪いままだったから。

そして、面接慣れして、面接中に冷静になれるようになってくると、あることに気づいた。面接官が失望するような目で、うんざりするような目で、異質なものを見るような目で、僕を見ているのだ。わけがわからなかった。わけがわからないまま、沢山の会社を受けた。全部駄目だった。

 そして昨日、ベッドでうとうとしている最中に、面接官の視線の持つ意味に突然気づいた。あれは、かつての僕の目だ。小学校で、僕が田中君を見ているときに、していた目だ。決して相容れないものを見るときの目だ。就職活動の場において僕は「ひまわり学級の田中君」だったのだ。

 僕が就職活動に費やした努力は全て無駄で無意味だった。経験や手法なんて些細なことだったんだ。僕という存在そのものが、企業から阻害される要因だったんだ。田中君のあらゆるアプローチが小学生の僕らに響かなかったように、面接官は直感的に異質なものを拒絶していたんだ。

 もう、どうしていいかわからない。なぜ僕は自分のことを普通だと思っていたのだろう。この問題に、どう対処すれば良いのだろう。これからどうやって生きていけばいいのだろう。

 田中君へ。君の辛さを今になってやっと理解した。ごめんなさい。