がけっぷち30代未婚無職の教員採用試験

30代未婚無職が2017年実施の教員採用試験に挑むブログ

ジョジョ 今にも落ちてきそうな空の下で

こち亀の浅草物語の次に好きなのが、このジョジョ第5部「今にも落ちてきそうな空の下で」の巻です。

詳しいあらすじを書くと大量になるのでここには書けません(´・ω・`) (興味を持った人は検索して下さい。感動することうけあいです。)



アバッキオ「・・・ああ、その、何だ・・・」


警官「何か?」


アバッキオ「いや・・・その、参考までに聞きたいんだが、ちょっとした個人的な好奇心なんだが、もし見つからなかったらどうするんだい?「指紋」なんて、取れないかも・・・ いや・・・それよりも見つけたとして、犯人がずる賢い弁護士とかつけて無罪になったとしたら。あんたはどう思って・・・そんな苦労をしょい込んでいるんだ?」


警官「そうだな・・・ わたしは『結果』だけを求めてはいない。『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ・・・近道した時『真実』を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。
 大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな・・・違うかい?」



この「今にも落ちてきそうな空の下で」の話は、教員採用試験や、教育そのもの当てはまるのではないでしょうか。


アバッキオ風に言えば、

もし教員採用試験に合格しなかったらどうするんだい?ずっと合格なんて、できないかも…。いや、それよりも合格して教師となったとして、いくら必死になって生徒に教育的愛情を注いだり生徒の為を思って指導をしたとしても、生徒にはそれが伝わらないかもしれないし、意図が分からないかもしれない。また、伝わったり分かったりしたとしても、生徒が卒業後に犯罪者となったり自殺したり引きこもり無職になったり自分の体を風俗で売ったり等、道を踏み外したとしたら。

私たち教員志望者や教員は、どう思って、そんな苦労をしょい込むのでしょうか。


その疑問に答えるのが、画像の警官の言葉だと思うんです。



この話はこう締めくくられます。

警官「アバッキオ、お前はりっぱにやったのだ。お前が残した『真実へ向かう意志』は、あとの者たちが感じ取ってくれているさ。大事なのは…そこなんだからな。」

…真実へ向かう意志を、一人でも多くの生徒の心に残せるような教師を目指したいですね。