それは本当にコミュ力なのか?
非常に残念なことに、私は今までの職場や学校でも低評価をつけられ続けてきました。協調性がない、報連相ができない、発達障害ではないか、などの悪口を、陰で言われ続けて傷ついてきました。
去年も、他人に悪口をよくいう学年主任の先生がいました。
私と同じように疎まれていた男性の先生がいましたが、飲み会ではその先生のことを協調性がない、何であんな奴を採用したんだ、との悪口を言っているのを聞き、私はとても胸糞わるくなりました。
しかし、たまたま全職員の賞与査定を見る機会があったのですが、その他人の悪口をよく言う学年主任の査定は最高評価でした。
仕事で良い評価を得る→自分が他人より優れた人間だと思い込む→他人の悪口を言うようになる→それでも評価が下がらないので更に攻撃的になる…の完全なループに入っているのだと思います。
悪口は連帯感を生み、言うとスッキリし、ターゲットを仲間外れにすることで、自分たちはあいつより優れた人間であるという錯覚を生む、麻薬のようなツールです。
しかし、悪口を言われて低評価をつけられる人間の人生は、一体どうなるのでしょうか?その男性の先生は、自分が良い先生かどうか分からない、と言って学校を去られました。
すこし変わった所や、能力の低さがある他人を、陰で馬鹿にして傷つけるような人が、協調性やコミュニケーション能力がある人だ。と称されるような社会である気がしています。
また4月からそんな目に遭うんだろうな、と思うと気が重いですし、そんな社会であるならば、引きこもりになりたいとすら思います。
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